2009年02月24日
元山 マッサージの独り言をつづった日記レーダー技術の発展
このような経緯があって、今のレーダー技術が発展したのですね。
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日本でのレーダーは1939年に陸軍が連続波で航空機からの反射波の受信に成功している。その後、陸軍ではいくつか電波警戒機という名の装置を銚子や東京湾入り口に備えたが役には立たず、その後も「た号1型」「た号2型」を開発し対空高射砲陣地に備えたがあまり成果は挙がらなかった。このためもあり1942年8月、ドイツの新型「ウルツブルグ・レーダー」の入手を計画し、伊号第三〇潜水艦で輸入を試みたがシンガポールで触雷し沈没した。
一方、海軍技術研究所では、伊藤庸二造兵中佐の下でマイクロ波パルスを利用した「暗中測距儀」の実験を独自に行っていた。1940年秋の大観艦式の際に艦船からの波長10cmの反射波が捕らえられ、レーダー開発の可能性がもたらされた。また、ロンドン駐在の濱崎諒中佐もバトル・オブ・ブリテンにおける英国のレーダー部隊の実戦投入と活躍を報告し、その有効性を主張している。しかし、海軍中央は八木アンテナやレーダーの効果よりも、自ら電波を出して敵に発見される危険性の方を重視したため、開発には消極的であった。第二次世界大戦の最初期では、まだレーダーはそれほどの性能を持たなかったため、戦局は日本が優位に進めた。しかし、時代が進みレーダーの性能が加速度的に進化した結果、日本軍は多くの戦いでアメリカ軍に苦汁を飲まされる事となる。 レーダーの重要性を痛感した日本海軍は慌てて開発に力を入れたが、時既に遅かった。1942年に戦艦「日向」において実験を行なったがあまり良い結果が得られずそのままミッドウェー海戦に出た。日本海軍ではその後も開発を続け、1941年に戦艦「大和」級に水上索敵と射撃管制用の「2号2型電探」を備えてはじめて実戦に使用可能なレベルのレーダーを手にした。初期のレーダーは雨が降ると反射されほとんど役に立たなかったうえ、指向性も不十分だった。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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